肯認学とは

〜ありのままの自分に気づき、受け入れるための学び〜

「もっとちゃんとしなきゃ」
「こんなんじゃダメだ」
「まだまだ足りない」

私たちは、気づかないうちに、そんな言葉を何度も自分に向けながら生きている。

でももし、それをやめて、
“直す”のではなく、
ただ“受け入れる”という選択をしたら——

そこから、人生はどんなふうに変わっていくのだろう。

肯認学とは、
「何かになろうとする学び」ではなく、
すでにここにある自分を、そのまま肯(うけ)る学び。

できている自分も
できていない自分も
美しい自分も
醜いと思ってしまう自分も

すべてを、愛しい自分として認めていくこと。

それはとてもシンプルで、でもとても深い旅だと思う。

そんなことを、最近特に感じた出来事がある。

ある日、レストランで食事をしたあとに撮った写真を見て、
思わず私は「キモっ」と声に出してしまった。

(いつもの自分の顔なのに、ね。)

すると長女が、少しびっくりした顔で

「マミー、そんなこと言っちゃだめだよ」

と、たったひと言。

その瞬間、はっとしたんだ。

「そうだよね…自分に、かわいそうなことしてるよね」

自愛については、ある程度できていると思っていた私だけれど
実は、日常のあちこちで、無意識に自分に厳しい言葉を浴びせていたことに
そのとき、初めて気づいた。

鏡を見たときの自分
誰かとの会話のあと
母として、女性として、思うようにできなかった瞬間

数えきれないほどの「小さな否定」を、私は自分に向け続けていた。

そして昨日、とてもタイミングよく
バルセロナ在住の友人で、ブレスワーク仲間でもある
@ nobibynoriko ちゃんが、バリで開催してくれたブレスワークに参加した。

やわらかく、深い呼吸の流れの中で、
ふと、強く湧いてきた衝動があった。

「自分を、ハグしたい」

(ブレスワークの最中に湧いてくる衝動は、だいたい“本音”です。従ってやってみてね)

だから私は、そのまま自分の身体をギュッと抱きしめた。

すると、心の中でこんな会話が始まった。

「ごめんね、ごめんね。
今まで、ひどい言葉をたくさん浴びせちゃって…」

すると間髪入れずに、もう一人の私がこう返してきた。

「いいんだよ。全然いいんだよ。大丈夫だよ。
いつだって、あなたを丸ごと受け止めているから。」

それを、もうひとりの私はただ見つめていて
気づいたら、涙が止まらなくなっていた。

・気づいて、謝れた自分
・丸ごと許し、抱きしめた自分
・それを見て、泣いている自分

こんなにもたくさんの“私”が、この身体の中にいることに
静かに、感動していた。

この歳になっても、まだ知らない自分に出会う。

でもそれは、もう怖いことではなくて

「知らない自分がいるのは、当たり前なんだ」

そう思えるようになったことも、きっと大きな変化なのだと思う。

肯認学とは、
完璧になるための学びでも
ポジティブになるための学びでもなく

ただただ、
ありのままの自分に戻っていくための、やさしい学び。

過去の傷も
癒しきれていない感情も
受け継がれてきたものも

排除するのではなく、
ひとつひとつ、迎えにいくように、抱きしめていく。

そうしていくうちに
自然と、リラックスし
心がほぐれ
本来の自分が、戻ってくる。

そしてその先には、
「何者かにならなくても、もう十分だったんだ。自分はこのままで完全なんだ」
そんな静かで、あたたかな確信が、そっと残っている。

世界の見え方がやさしくなり、
日常のひとつひとつが、
かけがえのない愛おしい時間に変わっていく。

さて、最後に私は、自分への小さな約束。

これからは、自分にひどい言葉を浴びせない。(自虐ネタはOK)

浴びせなくても、思う自分は出てくるだろうな。そしたら何度でも、自分に伝えてあげたい。

「大丈夫だよ。
どんなあなただって、丸ごと受け止めているよ」


これから私は、この「肯認学」の感覚、自愛を、呼吸や言葉を通して、そっと誰かのもとへも届けていけたらいいな、と思っている。

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